最近暗いニュースが流れています。そしてニュースの内容が今までとは大きく変わり、これまでには考えられない事柄が起こっています。
内容を大きく分けて、自死であれ、殺人であれ、そこには命の尊厳が微塵も感じられない事件が相次いで起こっているのです。それに加えて事件事故は年々若年化の傾向にある様に思えてなりません。
これまで地球市民の会の「目指すもの」と題して、前会長故古賀武夫氏を中心にして何度も何度も話し合って来たところでは有ります。
その中に生まれたのは「人間の持つべき文明」と題してのシンポジウムであり、それに沿っての行動で有りました。
それまで地球市民の会は、国際交流、国際協力と、海外に重きを置いた行動で有りましたが、シンポジウム以降は国内にも目を向け、常にバランスを取るべく心がけて来ました。しかしながら4年前、その古賀前会長も道半ばにして倒れ帰らぬ人となり以後、一人の百歩が正に百人の一歩で対応してきた感が有ります。
そこには会員の皆様はじめ、あらゆる分野のご協力者、当協会の理事長初め各理事、事務局スタッフ一丸となっての行動で有りました。
今後“当会の目指すもの“としてもう一度見つめ直し、結び直す事も多々ある事と思います。
先ずは、「地球市民の会」と云う名前に対しての考え方です。過去に「地球市民の会」と云う名前に、「政治的匂いのする名前だ」とか「ワン、ワールド」的発想か?とも云われたのを覚えて居ります。
私達は決して「右翼」でも「左翼」でも有りません、言うなれば「中翼(仲良く)」です、今は正に「無欲」で頑張って居ります。ただ、この処、社会、マスコミの標榜している、「ボランティア、正義、平等、みんな仲良く」等の言葉に地球市民の会が持って居るものとの違いを感じます。
もともと日本は地方に残っている、村役、隣組、消防団、婦人会、青年団等は皆ボランティアであり古い歴史が有ります。そして過日の東日本大震災に於いて大活躍をしたのがこの方たちでもありました。こうして見ると日本そのものがボランティアの国であります。緊急的支援を行う人、それを受ける人の行動があまりにも整然と行われている事に世界の国々から称賛を受けたのです。
この行動には青写真を描いた人もいなければ、設計者も居ないのです。必然的に、自然に行われている行動なのです。
これが日本の歴史であり、文化なのです。
教育界に於いては「正義、平等、みんな仲良く」の言葉が常時使われ、ある学校の運動会に於いては、みんな仲良くゴールしましょう、と云う事で手をつなぎ横一列で走らせた学校も有ったとの事です。
まさに先生方が作った「正義、平等、みんな仲良くの」鋳型に子どもたちをはめ込もうとしているように見えます。
これでは、身体的理由で参加出来ない人、精神的理由で参加出来ない人は「みんな仲良く」の輪に入る事が出来ず疎外されていきます。
人は皆、顔かたち、指紋が違う様に、精神の持ち方、能力も一人ひとりが違うのです。その違いを認め合ってゆく事が真の平等であり、みんな仲良くなのです。
隣人との違いを認め合い、各々の個性を生かしてゆく、すなわち癖(くせ)組です。日本の伝統であるこの癖組を継承して世界に発信して行くのが地球市民の会であり、当会の目指すものであります。
前会長 佐藤昭二
地球市民の会 前会長 佐藤昭二 が地球市民の会の会報「ネットワークテラ」に連載中のエッセイです。
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